身近に 「本は1回しか読まない」 という人がいる。
ナンデ?と聞いたら、
「2回目読んでも内容が変わらないから」 だという。
まぁ たしかに、1回目も2回目も、
書いてある 文字 は変わらない。
しか~し、だからといって「内容が変わらない」とは、
南都もったいないことを言うのか。
断言しよう。
1回目と2回目では書いてあることが変わっている。
う~ん、ちょっと言いすぎか
文字などというものは、紙についたヨゴレなのだ。
そのヨゴレ(でなければ黒いシミ)に
意味を与えているのが人間なのである。
文字が汚れだなんて嫌だなぁ という人は、
鍵とでも思えばいい。
文字どおり キーワード となって、
頭の中の扉をひらく、と。
文字は 記憶 と むすびつき、また新しい イミ の結晶 をつくる。
そんなイメージ。
最初に その本を読む時と、2回目に読む時では、
とーぜん 時間のズレがある。
そのあいだ も 人は生き続け、いろんな経験をして、
新しい記憶も増えている。
本は自分を映す鏡。
このあいだ読んだ時には気づかなかった新しい意味が
同じ本から読み取れた時、
あぁ、生きているんだなぁ、
倦(う)んだ日常のようでも、ちゃーんと前に進んでるんだなぁ、
と実感できる。(ちょっとオーバーか)
理解とは、1回きり じゃない。
生きている限り 理解 し続ける。
何回読んでも 読みすぎ ということはない。
「読書百遍 意 おのずから 通ず」とは、
「何回も読まなければいけない」ということではなく、
「読むたんびに、新しいプレゼント(意味)を本が届けてくれる」
ということではないか。