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砂漠の九官鳥

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『管子』 衣食たりて礼節を知る

水前寺 清子  師匠の歌に
♪ぼろぉは着ぃててもぉ こぉころのぉ錦ぃ♪
というフレーズが ある。
[ 「いっぽんどっこの唄」 1966 ]

お金は無いが、心は充実してる、
見栄を張らないで、中身を充実させろ、
最悪最低の状況でも、心は折れない、
など、受け取りかたは いろいろあろうけれど、
ワタクシ は、この歌を聴くと、
「衣食たりて礼節を知る」
という ことわざ を思い出す。

この ことわざ のルーツは、『管子』牧民篇 にある。
倉廩實則知禮節 衣食足則知榮辱
(そうりん みつれば すなわち れいせつ を しり、
いしょく たりて すなわち えいじょく を しる)
が それである。

礼節とは、スムーズに社会生活を送る時の心構え のようなもの。
倉庫がカラの時、そもそも スムーズな社会生活などできるだろうか?
着る物や食べる物を得るために必死な時、
誇りとか恥のために行動する余裕があるだろうか?

と、そんな感じか。
とても合理的で もっともな考え方である。
『管子』(管仲) は、物質的な条件を重く見る。

チータ師匠の歌とは逆のことを言ってるみたいだが、
では、「いっぽんどっこの唄」は マチガイなのか。

チータ = 水前寺 師匠の愛称。“ちっちゃな民子”の略。

もちろん、マチガイではあるまい。
「人はパンのみに生きるにあらず」 と云い、
「武士は喰わねど高楊枝」とも 云うではないか。

倉庫がスカスカだからこそ、
礼節が必要なのである。
衣食が たりない からこそ、
誇り や 恥の気持ちを持って行動すべきなのである。

今、現に 足りないならば、
節度をもって分けあうことを誇りとし、
奪いあうことを恥とする ことが、
人間の知恵というものである。

無論、管仲も 礼節が不必要だとは思っていない。
だが、長期的な展望に立てば、環境の充実こそ不可欠。
いつまでも食べないという訳にはいくまい。
将来食べられるからこそ、今は理性を保っていられるのだ。

虎に牙があるように、人には心がある。
心は生きてゆくための装置。
人にとって最大の武器ではあるが、
残念ながら 万能ではない。
「腹が減っては戦はできぬ」
スプーンは 心で曲げるより、手を使ったほうがラク。
道具を使えば もっと簡単。
ならば、より相応しい方法を選ぶのは当然ではないか。

精神論が、環境を整えていないことの言い訳に使われてはいけない。
例えば スポーツの試合に負けた時は、
「気合が たりませんでした」という前に、
道具の準備は出来ていたか、体調管理は出来ていたか、
を反省すべきである。

環境の整備に努力する。これが第一。
だが100%満足できる状態など、なかなか用意できないだろう。
そこからが心の出番なのである。

ワタクシは、
「倉廩実つれば則ち礼節を知り 衣食足りて則ち栄辱を知る」
を、そのように読んだ。  


     管仲の お墓にある塑像

 
参考 『管子』 松本一男(訳注) 徳間書店
    1996年 9月30日 第3版第1刷

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『韓非子』 和氏之璧

 『韓非子』 を “非情の書” という人がいるが、とんでもない。
 『韓非子』 は、悲劇の書 である。
 「これを読んでも泣かない」 という 人こそ、“非情” というものだ。  

 たしかに韓非は、法(法律・法令)と術(法の運用術)を説いた。
 しかし それは、「滅び行く韓を何とか救いたい」 という気持ち からであった。
 彼は、法と術 の採用を上奏したが、韓では取り上げられなかった。

 そのことの くやしさ が もっともよく出ているのが、
 『韓非子』 和氏 篇 である。

  楚の国の和氏(かし)という人が、粗玉を厲王に献上した。
  王が鑑定させると、宝石師は 「これはただの石です」 と言う。
  王は騙されたと思い、和氏の左足を切った。

  厲王が亡くなり、武王が即位したので、和氏は また粗玉を献上した。
  武王が鑑定させると、宝石師は 「これはただの石です」 と言う。
  王は騙されたと思い、和氏の右足を切った。

  武王が亡くなり、文王が即位した。和氏は粗玉を抱いて泣いた。
  三日三晩経つと涙が尽きて血を流した。
  王はそれを聞き、人を遣わして訳を尋ねさせた。
  「世の中に足を切られた者は多い。なぜそんなに泣いているのか」
  和氏は言った。
  「足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、詐欺師扱いされたことが悲しいのです」
 
  王はその粗玉を磨かせ、宝を得た。それが 和氏之璧 である。

 このエピソードを読んだ時、ワタクシの目には 思わず涙が にじんでいた。
 とても切ない気持ちになった。
 韓非は和氏に自己の境遇を かさねたのかもしれない。

 このあとの文で 韓非は、
 「宝でさえ認められるのは困難」(まして“法と術”を王が欲しがるだろうか)
 と嘆いているが、
 彼は内心
 「“法と術”こそが最高の宝(和氏之璧)なのだから、いつかきっと日の目を見るに違いない」
 と思っていたのではなかろうか。

  たとえ今は認められていなくても、
  あなたが持っているのは、間違いなく宝物だよ。

 和氏之璧 は、そういって韓非を励ますばかりではなく、
 不遇を囲う すべての人を励ましてくれているのかもしれない。


    


 さて、韓では ついに認められなかった韓非だが、
 やがて秦王政(のちの始皇帝)に気に入られることになる。
 だがそれは、新たな悲劇の始まりだった。


 参照 『韓非子』 西野広祥 市川宏(訳注) 徳間書店
     1996年 3月31日 第3版第1刷
     1998年10月 5日 第3版第3刷
 

                                         今回も、かなり強引だったな。

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