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砂漠の九官鳥

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『ユングの心理学』 秋山さと子

    (ユングといえば、この写真だろう。若い頃はゴツすぎてユングらしく!?ない。)

 “ユングの心理学” といえば、
 集合的無意識とか、シンクロニシティとか、
 なんだか難しくて、少しオカルト的なイメージがある。
 いや、オカルトというよりは隠秘学か。

 いずれにしろ、“学問”というよりは“思索”といったほうがいいような、
 第三者的に 突き放して観察するというよりは、
 のめり込んでいっているような、少し焦っているような、そんな印象を受ける。

 しかし、だからこそ 共感する部分もまた 多い。
 例えば、もはや専門用語ではなく、一般的に使われている「内向」「外向」は、
 そうだろうなぁ、と感覚的に納得できる。
 そして、外向型の人間と内向型の人間がいる、と考えると、
 人に やさしく なれる。
 人間 誰しも苦手なことがある、と思えるし、
 相手は自分とはちがう、と思えるからである。

   外向=現実順応と欲求抑圧
   外向型の人は、周囲の出来事から ほとんど無限といっていいほどの刺激を受けるので、
    行動の基準となる道徳律は、その人をとりまく環境が求めるものと一致するし、
  社会に順応しようとする意欲がつよい。
   しかし、そのために自分の欲求を抑圧し、身体的な健康を損なうことさえある。

   内向=主観重視と自己防衛
   内向型の人は、周囲の影響よりも、自分の主観的な考えを重視する。
   容易に他人に迎合しないので、意固地で付き合いが悪いという印象をあたえる。
   独断的になり、それが受け入れられないと劣等感を助長させる危険性がある。
   過敏な神経を働かせ、慢性疲労状態になる場合もある。

 ペルソナの概念もまた、そうだよなぁ、と おおいに うなづける。
 ペルソナとは、もともと (劇中でキャラを演じるために使われる)仮面
 という意味のラテン語らしい。
 Person、Personal の語源であるともいわれる。

 たしかにワタクシ達は、仮面を付けて演じている。
 自分の持っている いろいろな要素の中から、まるで仮面をつけかえるように、
 ふさわしいと思われるものを取り出して、
 その場その時によって変化する状況に対応する。
 そのことの比喩が“ペルソナ”であろう。

 そういえば、仮面で思い出したが、
 近頃は 仮面ライダーも、状況に応じてヴァリエーションを変化させている。
 オモチャを買わせたいだけ といわれればそれまでだが、
 暑苦しいキャラを貫いた、藤岡弘 演じる1号ライダー時代とは
 隔世の感がある。

 

   クウガ ペガサスフォーム  オーズ サゴーゾコンボ

 話を戻そう。
 ユングはまた、情動の源泉として、
 元型(アーキタイプ)の概念を提唱した。
 ペルソナが外側のキャラだとすれば、
 元型は いわば心の中にいるキャラである。

 例えば、世界各地の別々の神話に、
 共通する要素を持ったキャラが登場する。
 つまり、キャラが かぶっている。
 そこに、洋の東西を問わず 人間に共通する心理構造をみるのである。

 ユングは色々な元型を挙げているが、
 人気があるのは、やはりトリックスターではなかろうか。

 トリックスターの要素が強いといわれているキャラの例↓
 
         
 
    タロット・愚者     ヘルメス        ハシブトガラス       須佐之男命

       

     孫悟空        両津勘吉         一休さん     織田信長(写真は子孫)

 現状に満足している人、既得権を持っている人にとっては、
 邪魔で、迷惑な存在。
 不満を持つ人、チャレンジする人にとっては、
 希望の星、英雄。

 例えば、須佐之男命は、高天原では やっかい者だったが、
 出雲では ヤマタノオロチを退治して英雄になった。

 えーと、あとは、ん?
 そういえば、この本、
 シンクロニシティ(共時性)について 触れてない。
 なぜだろう。



      


 講談社現代新書 『ユングの心理学』 秋山さと子 講談社
 1982年12月20日 第1刷発行
 1988年 9月19日 第20刷発行

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『管子』 衣食たりて礼節を知る

水前寺 清子  師匠の歌に
♪ぼろぉは着ぃててもぉ こぉころのぉ錦ぃ♪
というフレーズが ある。
[ 「いっぽんどっこの唄」 1966 ]

お金は無いが、心は充実してる、
見栄を張らないで、中身を充実させろ、
最悪最低の状況でも、心は折れない、
など、受け取りかたは いろいろあろうけれど、
ワタクシ は、この歌を聴くと、
「衣食たりて礼節を知る」
という ことわざ を思い出す。

この ことわざ のルーツは、『管子』牧民篇 にある。
倉廩實則知禮節 衣食足則知榮辱
(そうりん みつれば すなわち れいせつ を しり、
いしょく たりて すなわち えいじょく を しる)
が それである。

礼節とは、スムーズに社会生活を送る時の心構え のようなもの。
倉庫がカラの時、そもそも スムーズな社会生活などできるだろうか?
着る物や食べる物を得るために必死な時、
誇りとか恥のために行動する余裕があるだろうか?

と、そんな感じか。
とても合理的で もっともな考え方である。
『管子』(管仲) は、物質的な条件を重く見る。

チータ師匠の歌とは逆のことを言ってるみたいだが、
では、「いっぽんどっこの唄」は マチガイなのか。

チータ = 水前寺 師匠の愛称。“ちっちゃな民子”の略。

もちろん、マチガイではあるまい。
「人はパンのみに生きるにあらず」 と云い、
「武士は喰わねど高楊枝」とも 云うではないか。

倉庫がスカスカだからこそ、
礼節が必要なのである。
衣食が たりない からこそ、
誇り や 恥の気持ちを持って行動すべきなのである。

今、現に 足りないならば、
節度をもって分けあうことを誇りとし、
奪いあうことを恥とする ことが、
人間の知恵というものである。

無論、管仲も 礼節が不必要だとは思っていない。
だが、長期的な展望に立てば、環境の充実こそ不可欠。
いつまでも食べないという訳にはいくまい。
将来食べられるからこそ、今は理性を保っていられるのだ。

虎に牙があるように、人には心がある。
心は生きてゆくための装置。
人にとって最大の武器ではあるが、
残念ながら 万能ではない。
「腹が減っては戦はできぬ」
スプーンは 心で曲げるより、手を使ったほうがラク。
道具を使えば もっと簡単。
ならば、より相応しい方法を選ぶのは当然ではないか。

精神論が、環境を整えていないことの言い訳に使われてはいけない。
例えば スポーツの試合に負けた時は、
「気合が たりませんでした」という前に、
道具の準備は出来ていたか、体調管理は出来ていたか、
を反省すべきである。

環境の整備に努力する。これが第一。
だが100%満足できる状態など、なかなか用意できないだろう。
そこからが心の出番なのである。

ワタクシは、
「倉廩実つれば則ち礼節を知り 衣食足りて則ち栄辱を知る」
を、そのように読んだ。  


     管仲の お墓にある塑像

 
参考 『管子』 松本一男(訳注) 徳間書店
    1996年 9月30日 第3版第1刷

『プラトン入門』 竹田青嗣

 プラトンという人は、どうも誤解されているらしい。
 ワタクシも、この本を読むまでは、プラトンが苦手だった。
 真理だとか、絶対だとか、
 そういう窮屈な、押し付けがましい言葉があるのは
 プラトンの せい  だと思っていた。

 たぶん世界史の教科書に載っていた数行の記述から
 そういうイメージを持ってしまったんだと思う。(洞窟の比喩とか)
 それ以前にプラトンという言葉を聞いたのは、
 野坂昭如の ♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか~♪ という歌ぐらいだったから。

 今は “真理”とか“絶対”などというのは、[コンセプト] だと思っている。
 つまり、そういう状態が[想定]されているのだ、と。
 だから、何もムキなって「絶対なんか絶対ない!」 などと言わなくてもいい。

 そもそも、苦手なプラトン本を何故読んだかというと、
 著者の書いたほかの本(『自分を知るための哲学入門』)が
 面白かったからである。

 よくある哲学史的な解釈ではなく、
 哲学を 自分自身に引き寄せて 考えているところに クラッと きた。
 この人なら プラトンをどう描くだろう、という興味があったのだ。

 クラシック音楽の愛好家は、
 同じ曲のCDを何種類も持っている。
 曲が同じでも、指揮者、楽団、演奏された時代によって
 無限のヴァリエーションがあるから。

 それは “入門書” の面白さにも似ている。
 原典をどのように解釈するかによって、
 無限のヴァリエーションが生まれる。

 著者の解釈では、
 プラトンは、絶対的真理を押し付けようとしたのではなく、
 むしろ、共通理解を作り出せるような説明を考えた、
 ということだった。
 “普遍”と“絶対”を混同するから、誤解する、と。

 なるほど、そうだとすると、
 プラトンのイメージが変わる。
 考えてみれば、権威は最初から権威だったはずもない。

 苦闘の末に編み出した、
 プラトンにとってのスピニングトーホールド(必殺技)、
 それが“イデア”だったのかもしれない。

 この本を読んだあと、
 ワタクシは やたらと 「イデア、イデア」言うようになった。
 正直、イデアの意味を理解したとは言い難いが、
 まぁ、ちょっとだけ、プラトンを尊敬するようになった。


 ちくま新書 『プラトン入門』 竹田青嗣 筑摩書房
  1999年 3月20日 第1刷発行

                        

                                        ナンシー関 が消しゴム版画で描いたプラトン
                     『90分でわかるプラトン』 ポール・ストラザーン(著) 浅見昇吾(訳) 青山出版社
                     1997年 1月25日 第1刷発行 表紙より

「鳥と獣と蝙蝠」

 鳥達と獣達は仲が悪く、いつもケンカをしていた。
 蝙蝠は、鳥達の前では、自分は鳥だと言い、
 獣達の前では、自分は獣だと言っていた。
 やがて、鳥と獣が仲直りをした時、
 蝙蝠は、どちらの仲間にも入れなかった。

 というようなイソップ童話を、子供の頃に聞いた。
 「どっちつかず は よくない」 というような教訓だったと思うが、
 少年(私)は、
 「コウモリは、なんて かわいそうなんだ。」
 と悲しい気持ちになった。
 「なんで、どっちかじゃなくちゃいけないんだろう」 と。

                          

 現在 手持ちの 岩波文庫 『イソップ寓話集』 山本光雄 訳 には、
 「鳥と獣と蝙蝠」 の話は載っていない。

 こちらに載っている蝙蝠の話は、
 「蝙蝠と鼬鼠ども」 で、
  ― 時宜に適した恰好をする人が しばしば危険を脱する ― 
 というオチ(教訓)が ついている。

 イソップ寓話集は、
 シュタインヘーヴェル版、タウンゼント版、シャンブリ版、ペリー版など
 様々なヴァージョンが流布しているそうである。

 子供の頃に聞いた話は、パエドルス系(ラテン語)の話で、
 山本氏が訳したシャンブリ版には含まれていないようだ。

 私の甥っ子は、
 ハンバーグを食べる時には 「オレはハンバーグが世界でイチバンすき」 と言い、
 スパゲティーを食べる時には 「オレはスパゲティーが世界でイチバンすき」 と言う。
 … 将来が心配だ、そう思う反面、
 ちょっと羨ましくもある。


    


 参照 岩波文庫 『イソップ寓話集』 山本光雄 訳 岩波書店
    1974年 9月17日 第30刷改版発行   
    1990年 3月  5日 第56刷発行

    タウンゼント版イソップ寓話集 http://jhnet.maxs.ne.jp/petit/aesop/reader_Aesop8.html

        「イソップ」の世界 http://aesopus.web.fc2.com/

    Fabulae  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/fabulae.html

 

『レトリックの本』 別冊宝島

 まず、前口上が すばらしい。
 やってやるぜ、という意気込みにあふれている。
 こんな感じ。

  ~レトリックは、《修辞学、巧みな表現をする技法》と辞書にあるように、
        一般には言語表現に関する技法だと思われている。

    しかしレトリックは、言葉を飾る技術にとどまるものではない。
    人間の行動の基礎には、レトリックが働いている。

    レトリックはもともと「世界を読むための装置」だった。
    しかしやがて、正確さや実証性が重視される時代になると、
    すべてが情報(おしらせ)にしかならなくなった。

    だが、このような事態が進行すればするほど、
    対抗する批判なり拒否反応なりが生まれてくる。
    レトリックの復権もまた、有力かつ有効な反撃にほかならない。~

 そうして ここから、めくるめくレトリックの世界が展開されるのである。
 それを知れば、「まさしく 人間の精神活動はレトリックそのものである」
 ということが実感できるだろう。

 これ1冊あれば表現の秘密が完璧にわかる。
 ( ― レトリック “49の必殺技” のうち 「誇張法」 ― )  なんちゃって。
 とりあえず残り48の必殺技について知りたければ、この本を読むべきだ。


  別冊宝島 『レトリックの本』 JICC出版局
   1981年 8月25日 初版発行
   1988年 4月  1日 第17刷発行

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